臍の緒は妙薬…小説の記述と、自らの記憶の、曖昧な符合。その不確かさがまず、彼女の心を捉えた。今はもう、真実を確かめることさえ出来ぬ想像は拙く、だが、胸中を徐々に侵して行く確信が、死より免れた過去を持つ自らの記憶と、密に絡まり合うものであるからこそ、不鮮明な符合を鮮明なものにする試みを、彼女は執拗なまでに、こだわり続ける。
自らの内部においてのみ、育まれ、誰にも明かされることのない、妄執。自らの思い込みに抱く後ろ暗さ、自らの確信を口に出すことへの躊躇いは、日々の平穏さに馴染む者として、当然のもの。綻びのない生活の、親しみやすい、穏やかさの中に隠されたことで、耽溺に染まる心の、その息遣いの異様さは、より際立ったものとなる。密やかに進む変貌。近しい者の死より引き出された欲望が、彼女の胸中を、ゆっくりと、塗り替えて行く。
淡々と、あくまでも、主人公のまともさ、彼女の偏執を後押しする、生や死、現実というものの近さを保ったまま、綿密に、質朴な言葉たちで描かれているが故に、自ら抱いた欲望の誘惑に身を委ねて行く姿は、真に迫るような、生々しい、凄味を持つ。怜悧で、媚態の混ざらぬ言葉の、整然さの中に潜む、艶。静かに、だが、妖しげに鼓動し続ける思いのしたたかさに、じわじわと心を奪われて行くその変容は、恐ろしくも不思議と、目を逸らすことが出来ない。