2015年6月6日土曜日

片山広子 松村みね子ではなく、片山広子

細木夫人でもなく、三村夫人でもなく、片山広子。特に好きな三編の記録。

「ばらの花五つ」
始まりの一言にまずやられる。そして終わりの一言にまたやられる。綴られる思いの素朴さ。記される言葉の柔らかさ。物事の本質を捉えようとする真っ直ぐな視線、素地の聡明さ。すべて堪らない。謙虚な始まり、慎ましい終わり。自虐めいた反省の言より溢れ出る茶目っ気、物言いの軽やかさを愉しむ。文章自体は短いが、片山廣子という書き手の魅力がしっかりと詰まった一編。

「ともしい日の記念」
満たされた今の生活をより輝かせる為に振り返るのは、苦しかったあの時代の記憶。その時分に食べていた料理のこと。何もかもが足りず、乏しい生活の中、少しでも美味しい物を食べようと施した工夫のこと。そのすべてを今へ、生活をより楽しくする為に、今へと繋げる発想。衒いもなく、妙な力みもなく、ささやかで、自然で、とても素敵だと思う。

「花屋の窓」
窓の向こうに見えるのは大輪の菊の花、暗がりの中で輝く、眩しいほど明るい世界。偶然にも同じ世界を各々違った時間に覗いた芥川龍之介と片山広子。かつて芥川が見た光景に対する片山広子の眼差しは穏やかで優しく、喜びの感情を率直に表す言葉が
微笑ましい。

美味しい食べ物のこと、暮らしのこと、疎開先のこと、子どもの頃のこと、アイルランド文学のこと。身辺に散らばる日々の喜びと楽しみ。そこに抱く思いをすんなりと語る言葉は温かで、素朴で、そして親しみ深い。内緒話のような大切さ、たくさんの素敵なことを、こっそりと教えてもらった時のような、懐かしく穏やかな嬉しさに包まれる。