2015年6月4日木曜日

倉橋由美子『完本 酔郷譚』

飲み干した魔酒が誘うのは、生々しく匂う生の一切を遠く離れた、美しき異界。この世のものとは思えぬ美貌をたたえた、正体不明の妖女たちと繰り返す、交歓の宴。時に女性たちの体内を象ったかのような様相を見せるその世界において、死は、生よりも慕わしく、甘美なる芳香をもって、迷い込んだ生者を魅了するもの。死へと腐り行く肉体、その滅び行く様の、おぞましささえ、その腐肉より放たれる死臭の、恐るべき甘やかささえ、ひどく官能的であると感じる。
限りなく死に近く、限りなく近い、死の世界に寄り添いながらも、生と死の間を漂い続ける異界にて、妖しげに待ち受ける女性の体内に入り込み、熟れた肉を喰らう悦び。貪り、貪られ、互いの肉体を喰らい合う交わりの果てに、愛でた妖の体液を飲み干す至福。死の腐臭を秘めた肉体を用いる交わり、肉体が腐り行く様、肉体の崩壊、肉体の不浄。おぞましいもの、本来醜悪であるとさえされているものたちに感じる官能美。そこにあるべきはずの汚さがなく、清浄なものにすら感じることができるそれら。それら滅びを避けられぬもの特有の醜ささえ、蠱惑の芳香へと変える異界への陶酔は、多少の嫌悪と、鈍い戸惑いを伴う為に、かえって強く、心を絡めとる。
妖しくも美しい、悦楽に満ちた酔郷。醜猥さのない、神秘に濡れた情景の数々に、快く、酔い痴れる。



完本 酔郷譚 (河出文庫)
完本 酔郷譚 (河出文庫)
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倉橋 由美子
河出書房新社 (2012-05-08)
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