2015年8月16日日曜日

ベッケル『緑の瞳・月影』

暗がりに遊ぶ命の群れ。生み落とされたまま、或いはしまい込まれたまま、羽ばたくことも出来ぬ不遇にあり続けてなお、たおやかに舞い、己が生を示すそれら。あえかな貌、繊細な姿態にそぐわぬその強さに応え、輝くに相応しい光を宿すよう、丹念に言葉を尽くす…物語は言わば、彼等へ注ぐ愛の結晶。自らを魅了するものたちへの、足早に過ぎ行く時間の囲いを超え、狭く息苦しい空蝉の束縛を超え、自らを豊かなる恍惚へと誘うものたちへの、畏敬と崇拝、清澄で、切実な愛の賜物。
彼等生来の美を、その幽玄を愛するが故に、僅かたりとも傷をつけてはならぬと、自ら触れることにさえ抱いていた恐れや躊躇いは、言葉を奉ずる試みへのひたむきさへ。未だ幾つもの謎を守り、身の程を知らぬ略奪の一切をはねのけるほどの、荘厳さを誇る世界…その精華とも言うべきものたちの存在を象るための、ひたむきさへ。
熱情は存分に思いを果たし、物語は志した優麗そのもの。魔性を帯びた言葉、あらゆる閉塞を脱し、読むものの心をも久遠へと連れ去るような、蠱惑に満ちた一冊。



緑の瞳/月影 (岩波文庫 赤 726-1)
ベッケル
岩波書店
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