2015年9月9日水曜日

富岡多恵子『隠者はめぐる』

知れば知るほど掴み難くなる類のもの。隠者、隠士。しかし、俗臭を厭い、遁世したもの達の、俗世との接触、言わばその俗臭の痕跡を求める道筋で出会った彼等の姿には、身遠さより不思議と近しさを、届かぬ偉人に抱くそれとは別の、馴染み深い好悪の感情を覚える。
好ましさを強く感じたのは淡島寒月と橘曙覧。特に淡島寒月は、何だか毛色の違う隠者、と言う印象。生活難とは無縁の境遇にあったからこそ全うし得た、市中の隠者としての生。糧を得るための何かを作り出す必要がない=生産に才を費やす必要がない。聡明を濫用せず、名利を求めず、大人しく身を保ち、至極穏やかに、ただ趣味に生きて、楽しく長命した…そもそもが恵まれた境遇とは言え、こうまで無駄にする事なく、幸福を全うし尽くされてしまうと、最早文句のつけようがないと言うか。
橘曙覧はその率直さや無邪気さと言った、人柄の方に魅力を感じる。時に迷惑でさえあるのだけれども、あまりにも率直で、あまりにも無邪気過ぎるが故に、不思議と反感を抱かれにくく、かえって好感を持たれるタイプのそれ。どうしたって糧を得るつて、援助者の存在が必要不可欠となる隠者生活において、才とともに、武器ともなり得る魅力の一つだったのではないかと想像。

…何だか富岡多恵子に上手いこと言い含められてしまったような感じもする。控え目ではあるものの、時折滲み出る鋭さや、なぞる指の冷静さとツッコミを入れる手のしなり、その緩急が絶妙であったために。



隠者はめぐる
隠者はめぐる
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富岡 多惠子
岩波書店
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