読後の晴れやかさたるや…!兎に角もう、悦ちゃんが愛おしくて堪らない。どうしたって悦ちゃんを、悦ちゃんの大好きな鏡子さんを、応援せずにはいられない。悦ちゃんと一緒にしょんぼりしたり、くさくさしたり、喜んだり。碌さんの碌さん振り(呑気であったり気弱であったりダメダメであったりする)に呆れたり、罵倒してみたり。所謂”出来た子ども”ではない悦ちゃん。カラッとしていて、頭が良くて、俊敏で。何と言うか、悦ちゃんは立派である。大人にとってはだいぶ都合が悪いほどに、立派である。凄くいい。大変いい。何と言う小気味よさ。悦ちゃんの境遇に対し、変に同情的になるのではなく、可哀想な子扱いするのでもなく、悲しみや嫉妬の素朴さから、子どもの健気さや弱さを喜ぶ大人にとっては都合の悪い事まで、ちゃんと、それでいて飄々と書いている辺りがまた獅子文六。妙に納得してしまう。
何を最良とするか、何を当然とするか。それぞれ異なるが故に、それぞれ異なる最良や当然を持つが故に、多くの人が集まれば集まるだけ、摩擦が生じる。時には騒動にもなり得る。その煩わしさ、うまくいかなさ。何と馴染み深い事か。うんざりしてしまうほどに知っている。大人も子どもも、自分自身の最良や当然に従い、動き回る。悦ちゃんもそう、碌さんもそう。だからこそ、たくさんの身勝手入り混じる、身近で存外に深刻な騒動の中、負けずたくましく奮闘する悦ちゃんをこそ、応援せずにはいられない。おしまいの一言(それはそれは兎に角最高である一言)のまで、楽しさはずっと続く。
獅子 文六
筑摩書房
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