2016年4月3日日曜日

幸田文『番茶菓子』

幸田文の言葉。佇まいはすっきりと。余剰なく、緩みなく引き締まり、しなやかで丈夫な糸のよう。真っ直ぐに伸び、張り詰め、時に優美な曲線を描く。糸を思う。心の縺れをほぐし、乱れを整え。すとんと収まる。その言葉には、いつ読んでもしっくりと行く嬉しさがある。
でこぼこと重ね行く生の中で出会う、特別な瞬間の事。忘れ難い感覚や、出来事それ自体は何気ない、けれど妙に後を引く印象の事。いたたまれなさ、後悔、可笑しさ、満足、驚き、悔しさ。匂い、色彩、暖かさ、冷たさ、艶めかしさ。彼等は不意に立ちのぼって来る。意外なほどに強い存在感をもって。胸にストンと収まった、あの慕わしい言葉達より。
その厳しさが好きだ。不便であった事を尊ぶのではない。便利になる事を厭うのでもない。危惧するのは今の便利さに甘え、何かを活かすために、或いは最上の状態を保つために、或いは大切なものを守るために必要不可欠な鋭敏さを失ってしまう事。清澄な緊張感、テキパキと多くをこなす、そのソツのなさが好きだ。



番茶菓子 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)
幸田 文
講談社
売り上げランキング: 189,338