地獄のような様相も見た。強烈な悪臭に困ったりもした。思わぬ無機質さに戸惑ったりもした。その雑多さ。それは感情の雑多さ、人の雑多さ、生活の雑多さ、家庭の雑多さを思わせるような。雑多なトイレの思い出にはいつも、そう言った雑多さを知る事、少しずつわかって行く事の苦さや嬉しさ、寂しさがくっついている。
自分もよくトイレの夢を見る。汚過ぎて忘れられないトイレだとか、前住んでいた家のトイレだとか、子どもの頃に借りた友人の家のトイレだとか。自分もやはりそのトイレを前にした瞬間の感情が蘇ったりする。自分との違い、自分の家との違いなどを知った瞬間の戸惑いや驚きと、再び出会ったりしている。自分を知る事の厄介さやいたたまれなさと、再び出会ったりしている。