2017年8月6日日曜日

高橋たか子『高橋和巳という人 二十五年の後に』

見覚えある夫婦の姿。どこかで、高橋たか子の作品の中で、確かに、何度となく、自分は見かけたように思う。言葉を無数に、言葉になる前の、茫漠とした夢と夢を無数に、無言のまま交わし合い。更に引き出す。相手を。本人にさえ把握し得ぬ領域にある夢までをも。相手の内より、際限なく、戸惑う程。更に引き出し合う。そのような一対の男女を。自分は確かに、見た事があるように思う。自分は確かに、知っているように思う。
感情的な思い出話など、一つもなかった。何もかもを飲み込み、通り越えた為に。気付き得た事など。それぞれの内にあったはずの、実際には交わす事のなかった言葉。夢。不可解であった行為の正体。相手もまた、深みを生きる種類の人間であったと言う事。それぞれが自分自身の内に沈み込み、何があるか、模索し続けると言う夫婦の平穏。互いを引き出し合うと言う平穏。けれどいつしか、二人を取り巻く濁りに、流されてしまっていたのだと言う事。何もかもを見尽くそうと、自分自身の内に深く沈み込み、探り続ける試みの果てに。辿り着いたが為に。わかり得た事など。



高橋和巳という人―二十五年の後に
高橋 たか子
河出書房新社
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