2017年11月4日土曜日

金井美恵子『愛のような話』

自分の内にある、自分の内に埋もれている情景を、感情を、記憶を、感覚を、ずるずると引き出されて行く事の堪らなさ。下から上へ。中から外へ。あの愉悦を、倦怠を、嫌悪を、興奮を、諦めを、空虚を、憤りを、予感を、確信を、充足を、否応がなしに引き出されて行く事の甘美さ。引き出されて行くとしか言いようのない甘美さ。
ありふれたもの達。悲しくて、気怠くて、熱く、憂鬱で、不毛で、私にとって、無数の私にとって、あまりにもありふれているもの達。その殆どが。うんざりするほどに、よく知っている、よく知っていたはずのもの達。私のものであり、私ではない、別の誰かのものであるもの達。私が体験した、いずれかの私が体験したもの達。
引き出されて行く時、まず思い出す。それが自分の内にある事を。それが自分の内に存在する事を。そう言えば。自分はそれを、持っていると。持っていたのだと言う事を。まず鮮烈に思い知らされる。そしてその見覚えのなさに、その新鮮さに。或いはその馴染み深さに、その懐かしさに。驚き、戸惑い、疲れ、うんざりし…喜び、笑い、高揚し、陶然と、より思い出す。



愛のような話
愛のような話
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金井 美恵子
中央公論社
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