2018年3月23日金曜日

金井美恵子『スタア誕生』

〈もちろん、そうだったかもしれない(そうなのだ)。誰が思い出して話したにせよ、それを寄せ集めているのは私だ。〉
〈いくつもの小さな記憶の齟齬が、目を飛ばし編んだ編物(もちろん、セーターやチョッキなどの大きな編物ではなく、せいぜいソックスやマフラーといった小物なのだが)のようにつながって少しゆがんでデコボコしたままになっているのだ。記憶の中の耳の奥で入りまじったまま--〉
〈私たちは長い長い退屈な日々を、いろいろなことを思い出しては訂正し、繰り返し喋ったりして、それぞれ多忙にまめに送ってきたのだ。〉

読めば読むほどに面白くなって行く凄さ。読んでいれば読んでいた分だけ、より楽しい。読む喜びは増す。読む事で引き出されて行くもの、寄せ集められて行くもの…境目なく混ざり合い、溶け合い、やがて埋もれてしまい、けれど未だ消える事なく熱を持ち続けていた記憶、情景、感覚…そう行ったもの達が多ければ多いほど。金井美恵子と言う至福はより濃さを増す。金井美恵子の本の中で、或いは別の誰かの本の中で、或いは自分自身の生の中で、感じ、体験し、生きた時間、取り込んだ情景…そう行ったもの達が多ければ多いほど。金井美恵子は面白くなる。
… ビロード、デシン、ウール、綿繻子、綿ネル、パイナップル編みの花瓶敷用のドイリー、ブロード、実物大型紙、実物大図案集、パイピング、刺繍、編物、人形作り、袋物作り、手動のブラザー製編み機、バイヤス、はぎあわせる、イギリスゴム編み、バック・サテン、麻布、モアレ、ジョーゼット、ヴォーグ、ピケ織り木綿、ツイード、婦人雑誌の付録のスタイル・ブック、スモッキング刺繍、ピコット編み、中細毛糸…編み物も服作りも、もはや生きている事さえも、金井美恵子を読むため、金井美恵子を読む喜びのため、と言うような気持ちになって来る。
すぐにまた私はあの時間を、あの続きを生き始める。また際限なく思い出し、寄せ集め始める。また際限なく吸収し、新たに増やし続ける。 どこで見たのか、どこで読んだのか、いつ、誰に聞いたのだったか、誰が言っていたのだったか、誰として体験したのだったか…場所も、人も、時間も、ひどく曖昧で、ひどく断片的で、一つ一つ判別する事が出来ないほどに混ざり、溶け合ってしまっているもの達を。やがて溶け合ってしまうはずのもの達を。 またどんどん増やして行く。やがて至福となるもの達を。いつか再び出会う時、甦り、引き出されて行き、立ち上って来ては至福と化すもの達を。自分は飽きる事なく蓄え続ける。見境なく、区別なく吸収し、未整頓のまま、入り混じったまま、蓄え、忘れ、思い出し続ける。



『スタア誕生』
『スタア誕生』
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金井 美恵子
文藝春秋
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