自分もまた、距離を知るために読んでいるのだといつも思う。何故惹かれるのか。探るために。全面的に好きと言う訳ではないのに、手に負えないと、うまく馴染むことが出来ないと、時にはその言葉をひどく近寄り難く、飲み込み難いものであると感じる事さえあるのに、何故こうもこだわってしまうのか。掴むために。
松山巖の「須賀さんとの会話」が面白かった。滲み出る近しさ。〈こういうと、いつも通り、ほんとーぉ、といって笑うかな。〉〈早業だなあ。テレますか。〉〈須賀さん、ペッピーノさんと恋愛中か新婚当時に見たのでしょう。それなら、萎れた葉っぱなんか見えなかったのでは。〉〈私にとってイタリア旅行は特別な日々だったけれど、あなたともう一度あたりまえに話をできる、きっかけをつくってくれたのです。〉〈嬉しかった。旅のあいだ、ほかにもずいぶんと話をしましたね。〉…まさしく会話であったように思う。一人だけでするものではない、そこには確かに、須賀敦子とのやりとりがあったように思う。
アレッサンドロ・ジェレヴィーニ 須賀 敦子 芸術新潮編集部 松山 巖
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