2018年12月2日日曜日

金井美恵子『本を書く人読まぬ人とかくこの世はままならぬ PARTⅡ』

〈小説というものは、本来、そうした具体性への狂気じみた描写願望として成立したのではなかっただろうか〉…何故読むのか、何故読み続けるのか、何故金井美恵子の文章を求め続けるのか。何故こんなにも金井美恵子の言葉が堪らないのか、何故こんなにも、快く、手強く、甘美なものであるのか、自分にとって、至福としか言いようのないものであるのか。今一度、幾度となく思い知る。
PARTⅠを読んでいた時分よりも楽しい。金井美恵子を読んでいれば読んでいる分だけ、増して行く類の楽しさ。持っていれば持っているほど、自らの内に、思い当たるものが多ければ多いほど、その言葉によって、引き出されるものが多ければ多いほど。楽しさは重厚なものと化す。かのニュー・フェイスの審査風景であるとか、「大岡さんのこと」、「ある微笑」、「超=技術としての娯楽小説」、「私の幼年時に埋め込まれた一部分」、「甘美な鈍重」などは本当にもう。それ自体が自分にとっての読む事の喜びであると言うべき連なり達。
金井美恵子を思い出すと言う至福。金井美恵子によって、引き出されて行くと言う至福。快不快を含む、倦怠をも、熱情をも含む、いくつもの感覚を、汚穢をも、瞬きをも、美醜どちらをも含む、無数の記憶を、情景を、金井美恵子に引き出されて行くと言う至福。金井美恵子の言葉と言う、金井美恵子の本と言う、最上の記憶であり、情景であり、感覚であるもの。自らが思い出すものの中で。最上であるもの。それを持っていると言う、それを自らの記憶として、自らの感覚として、自らのものとして、ある瞬間ふと、甦ってくる、込み上げて来る、記憶として、感覚として、自らがそれを持っていると言う喜び。

辛辣で的確で痺れる。蓮實重彦と、〈そうそう、反吐色と紫色のアクリルの編み込みセーターなんか着てるのよね、型の崩れたツィードのジャケットを上に着てたでしょ〉と、フェミニンな悪口を言い合ったり。最高であった。



本を書く人読まぬ人とかくこの世はままならぬ (Part 2)
金井 美恵子
日本文芸社
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