それが自分であったとしても、おかしくはない、と思う。自分がそう言った、人の生き死にから洩れ出る不可思議さのようなもの達と、いつか遭遇したとしても、まるで不思議ではない、と思う。いつか自分も、そう言った不可思議さを、目の当たりにする事になるかもしれない。その内に、彷徨い込んでしまうかもしれない。みな決して、踏み外してしまった訳ではない。踏み外して、その結果、戻れなくなってしまった訳ではないのであって。そこへなど、簡単に行けてしまうと言う事。不可思議さなど、そこここにあるのだと言う事。生きていれば、当然に死があり、暮していれば、闇など、隙間など、当然に生じてしまうのだと言う事。
村田喜代子作品の魅力の一つ。「つ」や「く」の字に曲がったお婆さん達。人の生き死にの複雑さや雑多さを、その姿、その存在そのもので物語るかのような。逞しくて図太くて、不可思議で不気味で、一筋縄ではいかないお婆さん達。凄まじい煮詰まり具合。よしあしなどでは語り切れぬ、忘れ難いお婆さん達。