2021年10月15日金曜日

金井美恵子『軽いめまい』雑感2 微笑の共有

夏実のめまい、私のものであるのかもしれない軽いめまい。〈ふと自己や記憶をなまなましく名付けようのない何かとして感じる瞬間〉を書くと言う事、作家の〈個人的な好奇心〉と〈「ドラマチック」な出来事に興味を持てない〉モラルと言うもの、或いはそのすべてを持つ指によって書かれたのだと言う事。〈ようするに、夏実は私なのだ。〉と言う言葉、夏実の生きる世界はまた、自らの生きる世界でもあるのだ言う事。自らのものでもあるめまいを書いているのだと言う事。
 何によって小説は、『軽いめまい』は書かれたのか、と言うことを考える。思い出されるのは、〈なじみ深い疲れを呼びおこす〉ような〈毎日のように街で見かけ、日々の単調な繰り返しの倦怠混じりの疲れのなかで見たとさえ意識さえされずに忘れ去られる一瞬の光景〉、物語を撮るのではない写真家の〈たえず移動している視線が、視線の欲望に連動する一見無造作な指で切られたシャッターによって切り取られた写真群〉を語るその言葉…〈視線の欲望の豊潤な喜び〉と、それを実現する指、〈35ミリのフレームのなかに決しておさまりきれない〉〈世界の時間と空間を生きる人間に対する愛着と好奇心と悔恨のこめられた「今」という瞬間を生きる決意の指〉との、その一瞬の連動を可能にする写真家の〈倫理〉、その〈指と視線の倫理をカメラという装置に賭した〉写真家の写真が〈見る者の生きた時間に向って〉主張する、〈わたしたちは写真なんかに撮られても平板化されはしないのだ〉と言う事、或いはその〈淡々とした足の速度と街の光景の持つある瞬間に向けられた穏やかな官能ときわめて個人的な好奇心が〉〈そっと薄くその表面を剥ぎ取った光の時間〉〈光の今〉…そのすべてを受けて、作家が共有する写真家の微笑、〈フレームに切りとられる写真などで決して平板化されることのない〉〈現に今そこにひろがる世界に対する〉写真家の〈指と視線の倫理による確認の微笑〉を共有することによって、作家が生きようと思う、この世界と言うもの。その微笑の共有と、自らの生きるここでしかない世界の実践として、この小説は書かれたのではないか。写真に映る見知らぬ人々のざわめきが自らの今、現実に向って呼びおこすめまい、その実践として、『軽いめまい』は書かれたのではないか。 
写真が呼びおこすめまい、カメラマンの〈眼と指と足のひそやかな欲望〉によって切り取られた一瞬の光景、〈指と視線の倫理をカメラという装置に賭した〉写真家の写真を見ると言う体験の、その実践として書かれた小説。その小説もまた、作家の書く指の欲望と倫理によって書かれた(切り取られた)その光景もまた、読む者(と言うか私)の今、今生きているこの世界と時間に向って、〈ふと自己や記憶をなまなましく名付けようのない何かとして感じる瞬間〉であるめまいに似た感覚を呼びおこす。