2022年7月24日日曜日

佐藤亜紀『喜べ、幸いなる魂よ』

いつもその手際のよさを楽しむと言うか、難事を滑らかに乗り切ってしまう、瀬戸際にて諸々やってのけてしまう手捌きの素晴らしさと、絶えず速やかに動き続ける手のその内にあるもの、ともすれば判断やら決心やらを鈍らせてしまう恐れさえある、存外なほどに熱く厄介な情熱や願望と言ったものに魅了される。 
ヤネケの生はずっと軽やかで、とんでもなく強靭で、どこまでも痛快なまま。それこそずっと高みにあって、色々通り越してしまっていて、絶えず見上げるほかなくて、全然手が届かない。怒りも文句も届かない。手強いどころではないのだ。だからこそ、と言うわけではないのだけれども、自在に生きる者の痛快さを前にして、読む者が何よりも共感し得ると言うか、自らのものとして生きることが出来るのは、ヤンのあの嗚咽の方ではないだろうか。当然のようにしてあてがわれた者たち…。役目を終えたとばかり、すぐにみんないなくなってしまう。とても辛い。充ち足りたようにしていなくなってしまうからこそ、辛い。自らを擦り減らして疲弊して、それを充足とすることが辛い。今なおあまり変わらずそうであることをも含め。今なおヤネケの生が見上げるほかないものであることをも含め。自らのために誰かの生を削り取ってしまうことを拒む、あの嗚咽にこそ、自分は共感する。