自らを眩惑する魅惑を、夢幻と現を縫い合わせるようにして書くこと。繊細に、優美に、囚われている者の憂鬱と喜びをもって。生きるようにして書くこと。ともすればそれが自らの生と化すほどに、境目を見失うほどに、眩惑へと、書くことの方へと降りて行くこと。眩惑されることの、或いは書くということの深み、その広がりと膨大さの内へと落ちて行くこと。〈いかがでしょう、物語の抗いがたい力がそれほどの効果を生み出すということを、理解していただけるでしょうか。自分の想像力の生んだ主人公にいわば化身し、その結果、主人公の人生があなたの人生になり、架空のものである主人公の野心や恋の炎に身を焦がすまでになるとは!〉…物語はまさしくそのようにして書かれている。眩惑されたまま書き続けること、書くことそれ自体と化しさえするかのように。
〈この私はといえば、いたるところ刺繍だらけでありました。〉…輝かしく鮮やかな色彩と光沢、光の眩さと煌めき、夜の濃さと妖しさ、広がり、交錯し、枝分かれする、その刺繍の美しさを読む。そしてネルヴァルといえば『幻視者』も読みたいところ。金井美恵子が書きたい自伝の形として〈ネルヴァルの『幻視者』の、レチフ・ド・ラ・ブルトンヌについて書いた「ニコラの告白」〉を挙げていた。〈他人のも自分のもごっちゃに縫いつけた自伝的要素や語られた記憶のクレイジー・キルトのようなもの〉…。