〈この右手のつかみ取りあるいは触れるものの感覚、あるいは痙攣といってもよい手の動き(手に限らず痙攣的なすべての身体の動きと感覚)が開示して行くものは、世界と私との関係である。世界と私の関係を、触れるものすべてに打ち立てなければならない。〉〈そして、この現実の中で今わたしは鉛筆を持って書いている。この苦痛はわたしの動いている右手からはじまり、右手の動きは常に人間の存在の根源的な意味に向っているということは不思議なことだ。〉
作家の手の緊張。作家の肉体の緊張。書いている、今まさに書きつつある、〈書くということの官能と怖れ〉を感じ尽くそうとしている作家の。書くことのはじまりを問うことの迷宮性、〈〈書くこと自体の持つ避け難さ〉或いは〈遂に終ることがないという未完性〉によって、幾度となくその卵性の問いへと、書くことの方へと立ち戻されてしまう作家の。緊張を読むということ。読むことの中から、読むことによって、なお一層広がる欠如と空白、それらによってはじまる、書くということ、〈欠如の迷宮に踏み迷うこと〉である書くことの、その只中にある、その官能と怖れのすべての只中にあって、今まさに実行している、書いている、書きつつある作家の手の、肉体の、緊張を読むということ。書く手、その肉体の、痙攣や震えや躓きや慄き、よろこびと言ったすべてを読む。自らもまた肉体をもって、生きるようにして、敏感に、見逃してしまうことなく、限りなく接近して、まさしく身をもって知るような、読み方をすること。快楽的に読むとは、そういうことなのだと思う。持続され続ける緊張、書くことにまつわる謎と情熱のすべて、はじまりを問うことを含む、読むことと書くことの迷宮性そのものであるかのような小説を、どう読むのかと言うこと。