2015年6月4日木曜日

室生犀星『杏っ子』

犀星自身の趣向がたっぷりと注ぎ込まれた挿話の数々が面白い。健やかに育ち行く娘を見つめた日々の甘く苦い感慨。放つ言葉、振る舞いに潜ませた鷹揚な愛情。娘を持つことの妙味、幼い我が子に湧き上がる願いの率直さ。自らの人生に抱き続けた思い。一つの小説として眺めた時、延々と続くそれらの連なりによって、物語はひどく冗長なものに感じられてしまう。各々が強い個性を放つが故に、まとまりのない連なり。舵の定まらぬ船のような、ぼんやりとした動きに、不安と退屈さの影は終始つきまとう。だがそのすっきりとしない退屈さ、まとまりのなさこそがかえって、時に進むべき方向さえガラリと変わる、人生のわからなさ、一筋縄ではいかない面白さ、愚かしくも愛おしい生涯のおかしみというものを、絶妙に表現しているようにも思える。心の曖昧さはしばしば人生を滋味豊かなものに彩るが、物語はその曖昧ささえ、忠実に受け継いでいるかのよう。
 美しい女人に対する憧憬、美しい女人への、尽きることのない思慕の念。犀星の作品にはいつも、それらのじっとりとした息遣いを感じる。かつての想い人たちとの再会、鮮烈に残る記憶の中の、つるんと小さなお尻。今作にも色濃く記されたそれら。幼少期より育まれ、胸中に深く根付いているものであるからこそ、自然と言葉より滲み出るそれらには、陰湿なひたむきさ、思い詰めたような、切実な執拗さがある。女人への果てしなき憧憬、情熱より生じる思いはその奇妙さ、その特異さが何とも不気味ではあるのだが、しかしまたその不気味さが妙に可笑しくもあり、これらの思いの根深さもまた、室生犀星という人物に好ましさを付与する、魅力の一つであるのかもしれない。 読後ふと、森茉莉の室生犀星評を思い出す。自らの娘を見遣る、犀星の顔。森茉莉がそこに、父というものの愛を、哀しみに似た父の愛を見出し、妬みすら感じたという、犀星の表情。作中において、しばしば用いられる突き放したような物言い、言葉の冷たさ、手厳しさにこそ、密かに惚気るような色合いを帯びたそれらにこそ、森茉莉が哀情の顔と評した犀星の表情、そしてその愛情の深さを思う。結末に見せる、主人公の満足気な笑み。室生犀星という父親は、身勝手で、風変わりで、回りくどくて、だがそれでもどこか、微笑ましい。


杏っ子 (新潮文庫)
杏っ子 (新潮文庫)
posted with amazlet at 15.06.04
室生 犀星
新潮社
売り上げランキング: 118,540