2019年12月1日日曜日

金井美恵子『夜になっても遊びつづけろ 金井美恵子エッセイ・コレクション1』

金井美恵子はいつの時代も鋭くて繊細で豊かで刺激的だ。その都度ひりつく。笑う。慄く。喜ぶ。楽しむ。感嘆する。息を吐く。息を飲む。目が眩む。立ち上って来るのだ。浮かび上がって来るのだ。快も不快も、美しさも醜悪さも、すべて。だからこそ、思い知る。嫌と言う程に、多くを。嬉しくなる程に。如何に馬鹿げているか。如何に鬱陶しくて、面倒で、可笑しくて、愚かしくて、不毛で、うんざりするか。或いは如何に美しいか。如何に柔らかくて、しなやかで、甘美で、魅惑的で、艶かしくて、気持ちよくて、たまらないかを。その都度思い知る。強く、驚く程に強く。自らも感じ、体感し、自らの内にある記憶や心当たりや身に覚えをもまた、無際限に引き出されつつ、思い知り、思い知らされ。楽しくて仕方がない。
その豊かで繊細で強靭な言葉によって。或いは、そこここに存在し、とっ散らかり、蔓延っている、数多の可笑しな言説を、恐ろしく的確に引用し続ける事で。金井美恵子は思い知らせる。明らかにする。あらゆる愚を。あらゆる違和感の正体を。もうどうやっても言い逃れ出来ないぐらい、鮮明に。明らかにしてしまい、わからせる。

『アカシア騎士団』や『兎』の迷宮感、永遠に彷徨し続ける不毛さや熱さや重さや喜びや幸福感を呼び覚まされ、うっとりとする。書くと言う事。読むと言う事。その終わりのなさ、尽きる事のなさ…。
若い頃の金井美恵子…。気怠げで物憂げで、けれど鋭利で敏感ではしっこくて挑発的で不都合で聡くて冴えていて、とてもいい。自らと親密なもの、自らの親しむ美や快や楽しみを語る際の熱っぽさ。いつの時代も金井美恵子は素晴らしく、至福であり続ける。

澁澤龍彦や大岡昇平や石川淳や中上健次を、悼むのでなく、どういう人であったか、自らにとって、どのような人であったか、どれだけよくて、おかしくて、変わっていて、魅力的で、好きであったかを物語る金井美恵子の文章が好きだ。