2021年11月26日金曜日

多和田葉子『地球にちりばめられて』

泳ぎ出すこと、泳ぎ出した者たち。膨大な、不確定の、それこそ無際限であるような、海にも似た広さの外へ。決して着いて行けない者もいる。どうしたって部外者のままでしかない者もいる。わかろうとしない者。そのように曖昧で、多様に変わり行く海のような膨大さがある事を。想像さえしない者。ゆえに旅は泳ぎ出た者たちの語りによってのみ、始まりもするし、広がりもするし、続いて行く。絡まり合い、もつれ合い、すれ違い、いずれにせよ溢れ出すように、新たに、新しく、或いは改めて、再び、発見され続ける。言葉も感覚も、彼等によってのみ、それぞれの場所から、立ち位置から、見つけられ続ける。立ち位置の危うさを、脆さを知ること。不自由さを、狭さを知ること。その確かさを疑うこと。そこから出て、意外な、驚くような、新しい広がりに出会うこと。快楽にせよ、嫌悪にせよ、秘すべきような、恥ずべきような感覚からでさえ、広がり行く事は可能なのだということ。思いがけず、或いは意図的に。
 緩やかに解体されてしまう。囲いも、区別も、簡単に溶けて行ってしまう。証明する事の難しさ。絶対的なものなどなくて、ひどく曖昧で、不安定で、変わり得るし、変わり行くし、どれだけ危ういか、果てしないか、思い知る。それは解き放たれる事にも似ている。外へ。膨大な不確定の海へ。解放されることは、その速度自体緩やかではあるものの、どうしたって不安になる。かつてよりもずっと開かれていて、豊かで、無際限に近くて、確かに快く、好ましく、けれど不安はどうしたって感じてしまう。どうしたって戸惑う。不安なまま泳ぎ出る。ふわふわと彷徨うようで、ずっと落ち着かない。まだわからなくて、確かには掴みきれなくて、落ち着かないまま、それでも当然、着いて行く。