〈花を愛するあまり蝶に化生した詩人はむしろ望ましい「魂の形」におさまったというべきではないだろうか。〉…〈鳥の自在さ、とりわけ水鳥の自在さこそ、まさしく肉の束縛を離れた魂の自在さに照応するものであったろう。〉〈肉身のままでは至りえぬ遥かなところ、天上、あるいは彼岸へ。魂の故郷へ。翼はこの場合、明確な志向性の表現である。君いま羅網に在るに、何を以て羽翼有るや。いな、肉体という羅網に囚われていればこそ、羽翼をもたずには居られないのである。〉
詩人の提示する魅惑、事実と夢幻の幸福な一致による、その時々の死生観の精華とでも言うべきような、幾つもの「形」の中で、けれども一際美しいのはやはり、詩人自らが目の当たりにしたと言うそれではないだろうか。そのまぶたの裏を埋め尽くしたかの薔薇、薔薇宇宙。詩人はそれを、自らの魂自体であったのかもしれないとさえ言う。〈花芯から次々と花びらが湧き出し、それが外へ外へとかぎりなくひらいていく。それはたしかに、薔薇いろの秩序であり運動であり、同時に完全と無限の、相容れ難い二つの相をそなえていた。〉〈私のこの薔薇は、蓮華状の肉団心(カリダヤ)そのものではなかったか、と思える。心臓のように血の色を含んだ肉色で、しかも、かぎりなく開敷しつづける天上的な花。〉それこそまさしく、一つの極致であるかのような、凄絶な美しさではないか。