アイは書かない、書きはじめない。ずっと探し続けている。彷徨い続けている。緩慢にではなく、いつも唐突に訪れる眠り。時間を断ち切るものとしての眠り。落ちて行くための眠り。けれど夢の時間の、対になるはずの時間のなさ。目を覚ました先にさえ、それはない。五時五分で止まった時計。進み始めたその瞬間から、アイにはもう、夢の時間しかないように思われる。夢の時間の迷宮性を生き続けるほかないように思われる。〈…けれど、見知らぬ土地は、いつも熟知の迷宮だ。繰り返し、繰り返し、やって来たことのある、不動の時のない海に囲繞された土地、原初の風と光と夜の空間が、旅人を風景と空間の中で既視感によって支配するのだ。いつか、いつか……、確かに来たことのある場所。〉繰り返し訪れること。或いはアイの無数性。幾通りもの記憶、幾通りもの生。
密着度の問題としての性交。性愛を物語るものではないそれ。探求の問題。密度の問題。距離の問題。アイはそれを、明確に想像してみることが出来る。肉体と、肉体的な快楽、密着した肉体の、深部を覗くことの快楽、すべての始まりであるかのような風と、濃密に息づく世界のこと。或いは様々な身振りと動作。様々な動物を擬態すること。骨や血や内臓や皮膚の感覚。一つ一つを意識してみること、動かしてみること、感じること。その快不快ごと、生きてみること。様々な接触、様々な姿形での、様々な皮膚や重さや体温や柔らかさでの、密着の仕方を考えること。密着度の問題。
あらゆる言葉。語られた、語られことのない、無数の言葉。アイとは無関係に、規則正しく進行する世界にある言葉の白々しさ。明確な饒舌は不快に滑って行く。生活を探る質問はアイを疲れさせる。通り過ぎて行く言葉。うんざりするほどに、雑多で、ありふれていて、退屈な。そのような言葉の氾濫する世界が〈アイのいる小さな部屋とは別に〉存在しているなかで。読むことをどうするのかということ。その書物の空間の濃密さや希薄さをどうするのかということ、そこにあるすべて、快楽や魅惑や快不快のすべてと、どのように相対するのかということ。読むことと自らを、どのようにするのかということ。密着度の問題、接触の問題、距離の問題。どうするのかということ。読むことを。読むことと、書くことを。快楽を、魅惑を、或いは世界を。言葉を。どうするのかということ。
細部に淫するようにして読む、いつも。繊細に読まなければならない。快楽に対して、様々な身振りや動作や行為に対して、互いに境目なく結びつく感覚やイメージの数多に対して、敏感に反応出来るように、緊張を保ったまま。己が身をもって、己が身を開くようにして、読まなくてはならないといつも思う。